3-(80) 二者択一
2008 / 04 / 09 ( Wed ) ![]() 別れ話がもつれたやり取り。最後に彼女が激高して威勢良く啖呵を切った。しかし、その決め台詞で噛んでしまった。サノバビッチと罵ろうとしてサノバビーチと書いてきた。 サン(息子)とビーチ(海岸)から最初はサーファーかと思った。 あるいはウミガメか。 海岸に産み付けられた卵からかえったウミガメの雛が一斉に海を目指して進んでゆく姿はまさに「サン・オブ・ビーチ(海岸の息子)」に相応しい。 もう、いじりだしたら止まらない。言い間違いにしてもなかなかナイスな言い間違いだ。しかもそんなナイスなネタがこの緊迫した状況下で飛び出てくるとは。 改めて説明するが、彼女は英語をハリウッド映画を見て覚えたのだ。その後、英語学校に行ってはいるが、基本的に耳から覚えた英会話が大半なので、スペルのミスが結構多い。学校でも指摘はされてるようで、だから彼女は通訳(interpreter)を目指して翻訳者(translator)は目指していないのだと言っていた。 さて、ここで俺には二つの選択肢があった。 A: ここで喧嘩を続ける。彼女の言い間違いを攻め、俺からも罵詈雑言を浴びせる。これは今の瞬間はもの凄くスッキリするけれども、多分これで関係はお終いになってしまうだろう。 B: ここは冷静に矛を収めて関係を修復する。金の話で時々不愉快な思いはするかもしれないが、それを埋め合わせて余りある面白いネタが手に入る可能性がある。何しろ彼女は以前、ロンリー(Lonely)をロングリー(Longly)と書いていたのだ。「貴方に会えなくて長くなっちゃったの」とか書いてくるもんだから乳首でも伸びたのかと思ってたらロンリーの間違いだった。多分これからもネタには事欠かないだろう。 本来はAの選択肢を選ぼうとしていたが、サノバビーチという言葉を賜って、俄然B.の選択肢が現実味を帯びてきた。金を出す代わりにネタを得るという考え方、これはちょっと画期的だ。しかもここで特筆すべきなのは、彼女には何の負担もない点だ。彼女は金が貰えてハッピー、俺はネタが入ってハッピー。いわゆるWIN-WINってやつですか。 時刻は既に明け方4時半になろうとしている。 寝ぼけアタマの俺は、こんな馬鹿な論理でしばらくの間本気で悩んだ。しかし結局、俺は選択肢Aを選んだのだった。それだけではない。ここ数週間に渡る延々とした言い争いでかなり不満が鬱積していたこともあったんだろう。今にして思えば馬鹿なことだが、傷口に塩を塗るようなメッセージを10分後に送信したのだ。 「サノバビーチじゃなくてサノバビッチだろう。ビッチって自分のことだろ、そんなの間違えてどうするんだ。もっと英語勉強しろよ」 5分後に届いた彼女の返信は、それはそれは凄い言葉のオンパレードだった。これまでの関係が粉々に砕けるようなその返信の後、静寂が訪れた。 クリスマスが過ぎ、正月になっても、彼女からSMSが来ることはなかった。 (第三部おわり) ![]() |
3-(79) 罵詈雑言
2008 / 04 / 08 ( Tue ) ![]() 帰国してしばらく連絡をとらなかったが、1週間経った後にSMSが届いた。 「帰国してから一言の言葉もかけてくれないのね。あなたは沈黙のまま関係を終わらせようとしているのかしら。私の方はあなたのことを想っているのに」 何故かやや漢文調だ。そのもの悲しい書き方に対応するように俺も冷静に話を始める。金がゼロだと彼女が納得できない、金額を減らすところで折り合えないとなると、後は満額支払いしかない。でも、単に元通りになるのは俺も納得できないので、せめて彼女に感謝の気持ちがなかったことの謝罪を表明させて手打ちにできないかと思った。 でも、そこからがまた並行線。彼女は感謝の気持が元からあったと言い張り、逆に俺が約束を破ったのが不誠実だと責め立てる。結局、これまで繰り返されたパターンだ。 *** 翌週、俺は風邪で寝込んだ。それを知った彼女はSMSで見舞いを書いてきてくれた。思いがけずいい雰囲気が戻ってきた。病み上がりの身体に鞭打って夜中に仕事をしていたら体調を気遣うSMSが届いた。時刻は明け方の4時だ。 気遣ってくれるのは嬉しかったが、こちらも徹夜仕事の真っ最中だ。風邪は治ったが仕事をしなきゃならないので「また明日ね」とメールを打つ。すぐに返信が来た。 「あなたは私がKTVでどんな嫌な思いをしてるか決して理解できないでしょうね」 時間的に考えると、その日店で嫌な客に当たったのかもしれなかった。でも、徹夜仕事で気が立っていた俺には攻撃的なメールとしか見えなかった。思わず感情的な返信をしてしまった。 「またその話かよ。俺に何を言わせたいんだ?どうせ自分は一切反省せずに、同じ話を繰り返していれば要求が通ると思ってるんだろう。What a contemptible person! 」 Contemptible というのは“軽蔑すべき”という意味だ。あんまり腹が立ったので、わざわざ辞書を引いて書いたのだ。 これを見て彼女がブチ切れた。2分後に罵りの言葉が送られてきた。 「何があっても絶対に相談なんかしないわ、あんたみたいな男に。ネバーシーユーアゲイン(さよなら)。サノバビーチ(Son of a Beach)」 威勢良く啖呵を切ったそのメールだが、最後の言葉が意味不明だった。 サノバビーチって何だそれ?サーファー? いや、それじゃ意味が通じない、何かこう罵詈雑言っぽい文脈だ。そのときはたと思い当たった。 そうか、「Son of a Bitch」(サノバビッチ)の間違いか。 ![]() |
3-(78) 約束違反
2008 / 04 / 07 ( Mon ) ![]() そのままバーを出て家に戻るが、二人ともまだ戦闘状態だ。とてもじゃないが一緒にホテルに帰るという話にはならない。彼女はちょっと所用を済ませるといい、一人でマンションに戻ると言った。すぐに俺のホテルに来るとは言っていたが、俺は信じていなかった。彼女は今日は徹底的に戦うつもりなのだ。 果たして彼女は来なかった。俺は2時間くらいテレビを見てから、おもむろにSMSを送る。 「How are you doing?」 とご機嫌伺いから始めるが、彼女の返信は既に戦闘モードだ。 「お金が必要なのは私のミスよ。私は駄目な人間なの。貴方みたいな高尚な人生じゃないのよ」 喧嘩の仕方は誰でもそれぞれのパターンを持っている。彼女の場合は反語的に入るのが特徴だ。自分を卑下しているように見せて、それは次の攻撃へのタメに過ぎない。 「I don’t think so. I understand you’re struggling much in this situation.」 (そうは思わないよ。君が苦しんでるのはよくわかっているつもりだ) 一応、気遣う返信を送るが、心は次の攻撃に備え始めている。彼女の攻撃が始まる。 「夜の仕事で私がどんなにセクハラを受けているかわかってないでしょう?」 いや、正直それならよく知ってる。 KTVでのセクハラなら俺にも一家言ある。たぶん彼女より知ってるはずだ。そもそもそういう小姐は身体を張って頑張っているのだ。お持ち帰りNGの小姐にとやかく言われる筋合いはない。でも、それは返信には書けない。当たり前だけど、彼女がしているのはもう少しセンチメンタルな次元の話だ。 「厳しい状況にあるということは容易に想像できるよ」 なんてSMSを返信する。自分でも本気でそう思っていないので今ひとつ迫力がない。 「問題はあなたが変わってしまったってことよ」 「何も変わっていないよ」 「だって約束破ったじゃないの」 「そういう話じゃないだろう」 意地の張り合いのままSMSを交わし続ける。出張ついでとはいえ、はるばる東シナ海を越えて会いにきて、今一緒の街にいるのに、顔も合わせずSMSだけをやり取りしてるなんて変な話だ。でもここはもう譲れない。 両者一歩も譲らずに話は平行線。結局、寝たのは明け方の3時頃だった。 ![]() |
3-(77) 比較事例
2008 / 04 / 06 ( Sun ) ![]() 着いた場所は人民広場のすぐ脇にあるワインバーだった。洋館の様な作りの2階建てで、置くの方にワインの瓶が置かれているのが見える。店員は西洋人。彼女が英語で話しはじめたので英語での会話だ。相変わらず店員の薦める席に座らず、自分勝手に席を交渉する彼女の後ろで俺は大人しげだ。中国語じゃないので多少は喋れるはずなんだけれども、モノホンの西洋人と英語で喋るのは何となく気恥ずかしい。 薄暗い店内で俺はバーボンを頼み、彼女はカクテルを頼んだ。 一段落するとまた同じ話の繰り返し。ただ、店内が静かなので怒鳴り合いにはならない。ややテンションは押さえ気味に、でも十分に感情的な議論が続く。 彼女は俺がいつも金のことばかり言うと非難する。自分は金のことなんか気にしてないのに、あなたは金の話ばかり。 いやいやちょっと待て。大体あげてる側と貰っている側じゃぁ全然違う。俺だって貰う側だったら金のことなんか気にしない。相手の好意を嬉しく思うだけで気楽なもんだ。でも、こっちは払う側なのだ。しかも、日本から出張を調整してこちらまで苦労してやってきてるのだ。以前はホテル代だって自腹で払ってた。大変な出費がかかっているのだ。金の話をして当然だろう。 それはあなたの心が狭いからよ。と彼女はさらにもう一段攻めてくる。 何てことを言いやがる。ここまで怒らなかっただけでも十分心が広いだろう。そう言い返そうとすると、彼女は先ほど話をした友人の結婚式のことを話し出した。その友人は彼女と同じKTV小姐だったのだ。 お相手はアメリカ人男性。KTVの客として知り合い、そしてつき合って結婚に至ったのだそうだ。彼らが初めて出会ったのは半年前というから、俺たちが出会った時期とあまり変わらない。 まじかよ。そんな奴がいるとは思わなかった。しかも俺と同じタイミングで同時進行でそんなことをしていたとは。 なんて迷惑な奴なんだ。 思ったけど口には出せない。彼女はさらに主張を続ける。 同じKTVの客なのに、一方は相手を大切にしてこのたびめでたくゴールインする。一方あなたときたら、金のことで恩着せがましくごちゃごちゃ文句を言うばかり。 本当に人間が小さいわ。 どうだと言わんばかりの眼で俺を見る。決定的な証拠を盾に弁論する弁護士の様だ。実際これは強力な論理だ。何しろ比較事例という事実に裏打ちされているのだ。 でも、俺は負けたくなかった。もう何が正しいというより、目の前の生意気な中国娘に屈服したくない。しかし彼女の論理は完璧だ。絶体絶命となってしまった俺は、一瞬逡巡し、ついに搾り出すような声でこう答えた。 「他人は他人、俺は俺だ」 追い詰められて超論理の世界に飛躍した俺。 勝利を確信していた彼女は目を丸くした。 ![]() |
3-(76) 劇的口論
2008 / 04 / 04 ( Fri ) ![]() タクシーは人民広場の方に向かっている。ここに彼女が行きたいバーがあるらしい。タクシーの運転手が黙って車を走らせるその後ろで、俺たちは大声で口げんかをしていた。 「だいたい、生活費の明細がおかしいって何よ。あたしは何度も説明してるでしょ」 「あの説明で納得できるわけないだろ。そもそも金額が平均とかけ離れてるんだから」 「じゃぁ、レシートを全て提出しろっていうの? 税務署にでもなったつもり?」 もう相当混乱してきた。問題はそういう話なんかでは全然ない。 最初この話をしはじめた時は、感情的にならないように慎重に言葉を選んで話をしていた。俺もそうだし、彼女もそうだった。でも今回はそれとは全く逆のやり方で喧嘩している。 わかっていた筈の袋小路に入り、立ち入ってはいけない地雷原に走り込む。堤防が決壊したかの様に、今まで押さえていた感情がほとばしり、辺り一面を埋めてゆく。そんな不毛な言い争いを大声で続けていた。 一方、タクシーは比較的順調に道を走り、人民広場に近づきつつあった。そろそろ目的地なので運転手は客に正確な場所を聞きたいところだ。しかし、背後で大声で口げんかしている俺たちに気圧されていたらしい。 それもそのはず、俺たちは英語で怒鳴りあっているのだ。英語のわからない運転手にしてみればさっぱり状況がわからない。俺たちが何で怒っているかも、会話の内容がわからないので見当もつかないんだろう。 互いに感情をぶつけ合い、言いたいことを全部はき出して俺たちのアタマがちょっと空白になる。矢の様に飛び交っていた英語が鳴りやみ、一瞬車内に静寂が流れる。その瞬間、運転手の弱弱しい声が響いた。 「しゃ、小姐・・」 卑屈な、ご機嫌を伺うようなトーンの声だ。運転手なりにタイミングを計っていたんだろう、しかも、俺たちに気圧されて割って入ることに極度に緊張していたかもしれない。少し裏返ったその声はどうしようもなく間抜けで、しかも俺たちが疲れて一瞬気をぬいたその瞬間に静寂の車内に響いたのだった。 必死に怖い顔を作っていたが、腹の底では大笑いの俺。彼女の方も同じ気持ちだったみたいだ。さすがに笑い声は出なかったが、何とも複雑な表情をしたまま運転手に場所の指示をする。完全に気勢がそがれてしまった俺たちは口げんかを再開することはなかった。 運転手。 君は今日いい仕事をした。 ![]() |















